キラキラした

2021年 7月 6日

子供はすごいな。毎日毎日 一生懸命だ。

と言うよりも、そんな姿や姿勢を後から大人が一生懸命って言ったのかな。
子供はただ、本来あるがまま 今ここに生きているのだから。



そんな子どもの邪魔をしないように。

のびやかな心を そのまま大きくしていってくれる方へ、どうか。

自分がかけている言葉が 今はまだこの子の顔を曇らせてしまうことを言ってるって
そんな自覚があるから。

これから自分がかけていく言葉がきっと、目の前の子供の顔を輝かせるものにできるように。



一日一日、ひとつずつでも。


心して 変えていくぜよ。



 

 

 

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祈りの先へ

2021年 6月 17日

自分の中に知らず知らずずっと閉じ込めてきた何かを

ようやく開け放つ事ができた。


すべて。 扉を開いて。 蛇口から全部全部垂れ流すように。



彫刻と出会って、彫刻のおかげでたくさんの人と出会ってきた。
大切な人とたくさん。


彫刻と出会わなければどうなっていただろう。



もう大丈夫。きっと大丈夫。





ここまで頑張ってきたこの命に、

彫刻に、

出会ってきた大切な人たちに。



感謝を。






ようやく 今を生きられる。



そう 想った。



 

 

 

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ゆ め

2021年 5月 4日

最近、ずーっと前に想っていたことをふと思い出すことがあった。

それはそのまま また新たな温かみを持って、心の中にほんわりと留まってくれている。




そんな中、ある美術家さんの言葉に触れた。
つまりは「作っている時にこそ生きている感じがする」というもの。
言わんとすることはよくわかるし、この世界のたくさんの表現者たちの中にはそういう人は多いと思う。

ただ、昔からそうなのだけれど。
やっぱり私には、どこか違和感が残るものだった。


その人が孤高の中で、(それは精神のことだけではなく環境も人間関係も)生きていて創っているのならすっと入ってくるかもしれないけれど、身近に家族や 夫や妻や子供がいる人なら。
その家族がもしこの言葉を聞いたらどう思うだろう。

私はそう想ってしまう。

その人の家族がどこか傷ついたり、さみしい思いになってうつむいたりしているような そんなことを想像してしまう。
「じゃあ自分たちといるときはどうなの?」って、そう悲しくはならないだろうかって。

その美術家さんは家族も子供もいることを知っていたから。
なぜ、もしかしたら家族がその言葉を目にするかもしれないのに その言葉を公に書けるのだろう。
家族の思いには、想いが至らないのだろうかと。

制作こそが、作品こそが何より大事なのだと、そういう表現やその人となりのあり方に違和感を覚えた20代の頃と同じ違和感を、15年経った今も感じる自分がいた。


だから私はやっぱり、そうなんだ。
自分がありたい姿やありたい方向は、最近思い出して 改めて大切にしていた気持ち、
やっぱりそっちなんだと気づかせてもらった。


私にとっては、この日々こそが 何よりも大切なんだと。

家族がそばにいてくれること、その中で笑顔で過ごせること。
いまここに 在れているということ。

そこに 丁寧に気づいて、ありがとうと 言えること。



それを大切にできる自分であれるよう、日々自分をととのえて。


そこからだ。そこから、その上でなお 作ることができるのであれば。



そこに 私が会いたい彫刻が 在る。






そんな気持ちの土台から、しっかりこの日々に根っこを伸ばしたおおらかな何かから。

立ち現れてくれる表現に、私自身が 会ってみたい。





一番近くにいる家族の笑顔を守れるような 強さとしなやかさを。


そんでもってその日々を楽しめる余裕を持って。




静かな そして大きな夢に向かって、


今日も、明日も 一歩ずつ 前に進んでいけますように。



 

 

 

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レザークラフト、はじめました。

2021年 3月 8日

2020年秋頃から レザークラフトをはじめました。


HIRAYAMASAYO ⚫︎ ▲ ■





革製品を作る時に思うことを言葉にしたので ここに。



「彫刻家 / 平山紗代が、気ままに作る 革小物。


  シンプルで
ここにしかなくって

 ほんの少し うれしくなるもの


  この日々を共に喜び、やさしく寄り添えるような 
そんな何かを。



   2020年にはじめた革小物は、ずっと向き合ってきた彫刻と同じように、
作る真ん中は きっと一緒。


  気がついたらそばにいてくれて、励まし 
前を向かせてくれる。

 いつしか宿り、共に歩む。


  そんな何かがこの手から生まれてくれて、
誰かにそっと届けられたら。

 そんなことを願いながら 少しずつ、これからも創っていきたいと想っています。」






そして、

● ▲ ■ のロゴについて少し。



素直にいい形を、と思っています。

ずっと彫刻でも形とひたすら向き合ってきたから。

もうひとつ、自分の中の深いところにずっとある、江戸時代の禅僧の仙厓義梵(せんがい ぎぼん)の書いた禅画
「○△□」。
強く想うのではなく、今はもう深いところに静かに この禅画が自分の中にあります。

20代の頃から、禅の思想やら禅画やら、禅の呼吸法やら、とても想うところがあり好きで。
仙厓さんや白隠さん、修験僧の円空さんや木喰さん。好きで。
彼らにとってはきっとそれらは教えの表出であって、美術でも芸術でもなく。
それでも、それだからこそ、彼らのてらいのない表現にひかれていました。


十牛図なんかもとても心に響くものがあり、今でも自分の奥深くで静かに大切にしています。


調べれば多分いろいろ出てくるこの禅画の解釈、円相や真理やそんなこと。でも今はそういうものは遠く。

私にはこの「○△□」は、○でも △でも □でもいいんだよ〜って、そう言ってくれているような気がするんです。
それぞれ、いいかたちですよ、ねぇ〜って、難しく考えなさんなって、なんかそう言ってくれてる。


大そうな円相も、饅頭にして「これ食うて茶ぁのめ」ってそう言ってくれる仙厓さんだから。
死ぬ間際に「死にとうない」って、そんな この世を愛おしむ仙厓さんだから。


特にこの禅画を意識して生きていたわけではないけれど、子供を産んで、いろいろあって、それを超えた先に ふと現れてくれた「今を楽しんで生きる」ってことが。
20代も30代もあれやこれや知識を入れ込んで本を読み漁って必死に求めて求めて、必死になって実践して、パンパンになるまでやって。
そんで、ふと力が抜けたその時に いつしか自分で意識することなく ずっと近づきたかった「いま ここ」に、しっかり息をして 在ることのできている自分がいることに気づいた時に。

なんだか仙厓さんのこの禅画が心の中に浮かんだんです。
それでいいよーって。

それは自分自身にも、そして 大切な他者にも。



革製品を本気で作ってみようと、そして刻印のことを思った時、自然に ● ▲ ■ が浮かびました。


素直に いいかたちを。




いい形を、いまここを一所懸命に生きて、楽しんで、作っていけたらと思っています。



 

 

 

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パンク・ロック

2021年 2月 27日

今日家族で車に乗ってて、私が運転してて、主人が私のアイフォンの中のブルーハーツかけて。

私はおんなじ曲ばっかし聞くタイプだから、持ってるくせにほとんど聞いたことがなかった「パンク・ロック」って曲がかかって、それが なんか、すごくよかったんだ。なんか、もっと早く出会いたかったって思った。


あの、不器用にしか生きれなくて、必死に作って作って もがきながら必死にひたすらに作ることに向かい続けてたあの頃に出会ってたらどれだけ勇気をもらえただろうって。



だから今出会えてよかった。

あの頃からずっとつながってる夢は いまも心の真ん中にあって、それはいま、ただ一生懸命家族と、子供と、今日を楽しんで生きようって気持ちにもつながってるから。


そんなことを感じた日に、もう何週間も前からこの連載は読もうって決めてた甲本ヒロトさんの連載が、今日はじまってた。

もう、バシッときたんだ。



この人がいてくれてほんとによかったな。

彫刻を選んだから出会えたんだ。
予備校や、大学のアトリエやアーケード下で。




パンク・ロック



 

 

 

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新 年

2021年 1月 2日

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします




おちついて ていねいに、いついかなるときであっても良いところを見出せる そんな人になれますように。










 

 

 

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熾火

2020年 11月28日

久々のキャンプ。

ペーパードライバーを18年ぶりに卒業して、家族を車に乗せて 島根県は三瓶山まで。

とってもよかったな。また行こう〜




焚き火のあとの ゆらゆらと、ずっと静かに燃える赤がとても綺麗で。

熾火「おきび」って言うのですって。




意味を調べたら

「熾火」の意味1: 赤く熱した炭火
「熾火」の意味2: 激しくはないが継続する感情・愛情


なんか、とても感じるものがあった。



静かだけれども、ゆったりと長く けれど確かに続いていく気持ち、想い。




人にも、ものにも、彫刻への想いも。





熾火のように。



 

 

 

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毎日

2020年 10月9日

ひとつ、これからずっと大切にしていきたいものに ようやく手が届いた気がする。


私、がんばったと想う。がんばったよ。よかった。



いろんなことに感謝だ。







今、ちょっと読んでいる本に、「最高に幸せだった日は?」って質問があって、

本当に素直に、「一番幸せなのは今だと思う。心から。」って書いてた。




だから本当に思った。



今を大切にしようって。



 

 

 

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2020年 7月15日

19歳の時に、強く心に想ったこと。


「やさしくなりたい」



結局は今も、そのことが真ん中にあるんだな、きっと。

今もその夢を追い続けてるんだな。
本当に本当に、本当にするために。




こういう場合はこうしたらどうだろう、そうかこういう感じでいけばいいかな
メモして心にいつも留めて、ああしてこうしてこうやって。

いつの間にかやらなければならないことばかりが溜まって心がいっぱいになってて。


ちょっとしたことですぐに心の余裕がなくなっていてイライラしてる自分を止められず。




この一週間くらいずっと、いつ自分がイライラしてしまうのか。
そんな気分が取れなかったところに、たまたま「めがね」っていう映画を見た。

前にも見たことがあったけれど、その時は少し価値観の押し付けを感じてしまって
ちょっとなぁって感じていた映画だったのだけれど、
今回見たときにふぅーっと力が抜けるような、心の中に心地よい空間が広がる感じがした。


そんで、あぁそうか、こーんな心の空間を ふぅーっと取り戻す時間を
1分でも30秒でも持つように意識すれば何か変わるかもなって、思えたのでした。


その空間が、自分にも人にもやさしくあれる余裕を自分に与えてくれるだろうって。



ついつい私は、こういう時はこうしてみようって、何かしらのコツやらルールやらを
実践してみたり反省してみたりを繰り返すのだけれど、
ただただ、心地よい凪のような空間をどうにかもち得れば、
あとはただ、今にとどまって相手の声を聴いてさえいれば、それでどうにかなるのかもな。


その空間が、私にあと一歩 やさしくあれるように導いてくれるかな。





映画の中で字幕のないドイツ語のセリフが続くシーンがある。

ここに書いたようなことを感じた後に、ふと気になって何を言っているのか調べてみた。



やっぱりそうだな。




「そろそろ持ちきれなくなった荷物をおろす時

 もっとチカラを やさしくなるためのチカラを

 何が自由か知っている

 何が自由か知っている」




この映画をこうして 穏やかな気持ちで見れるようになった私に出会えてよかった。



 

 

 

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シンプル

2020年 5月16日

今を、ほんの少しだけご機嫌で過ごすこと



それができたらほんと、それだけでいいな。そういうことなんかな。

いつもいつもそうだけれど、
今を生きる在り方、気持ちの在り方、心の在り方。
あれもこれもいろいろ気にかけて実践しながら試行錯誤して
うまくいかなかったり、少し気づけて軌道修正できたりできなんだり。

今日は少しできたー、とかって自分なりには日進月歩の毎日だけれど。

自分が今までも今も一生懸命やっている心の姿勢の在り方への模索は、
つまりシンプルに簡単にスッと言っちゃえば、

今を微笑んでいられるくらいにご機嫌に過ごせていること、そういうことかなって思った。


いろんな宗教もスピリチュアルも賢人の考え方も瞑想やマインドフルネスや自己啓発やらなんやかんや。
目指してるところは、そーんなシンプルなところ、なのかな。
うん、だから難しいってのもあるな。やっぱり。
今、ここに、ある。ってことは。

一度頭がもうごちゃごちゃしてしまって何層も何層も靄がかかってしまった人間にとっては、
そこにたどり着くのはやっぱり、簡単じゃないよな。




ついつい過去の良い状態の時とか、
こんな風だったらなとか今ここにないことへの憧れだったりとか。
過去やら未来や現状の不満やらにあちこち頭が飛んじゃうけれど。
目指すところはすごくクリアーでシンプルな場所なんだ。


もちろん今一生懸命やってみていることがうまくできたりした時の心持ちやらを感じることができたり、
やってみたからこそ、できた瞬間があるからこそ感じられたことだから、本当に全ては無駄ではないのです。
だからこそなんか、そう思えた。

今やってることが本当に自然にできるようになれた時ってつまり、
今を、いろいろあってもうん、そういう時ってあるよね〜大丈夫大丈夫、って思えてさ
人も物も事も7割くらいでいいところをキャッチできるような心でご機嫌でいられれば。

きっと10割じゃないってところがミソだよね、仏様じゃないんだからって、今は思える。



うん、頭の中ではまだ、もっとこうありたいしここのところももう少しこうできたらって
いろいろもたげては来るけれど。

とりあえず、ちょっとご機嫌でいられたら、その心の余裕もできてくるんじゃないのかな。


今と、ほんの少し先の未来だけを、そこはかとない安心感を持って過ごせたら。




ま、まだまだ色々あっても、人間だものって、自分にも正直でいられれば
そこからまた毎日毎日やってみればいいんだ。


明日もまた少しずつ、心がけて1日を過ごそう。



 

 

 

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おうちで過ごすこと

2020年 4月21日

4月ももう後半。

先日広島にもコロナの影響で緊急事態宣言が出され、毎朝9時に廿日市市からの
不要不急の外出を控えるよう求める 市内放送がかかるようになりました。

観光地がすぐ近くなので、結構早い段階から駅の方には近づかないようにしていたし、
スーパーも地元の人くらいしか行かなそうなところに変更して、
夜中に主人がまとめて買い出しをしてくれる日々が続いていた。

2月3月頭くらいまでは近所の公園には週に2回くらいは行っていたけれど、
緊急事態宣言が出される前にもう行くのをやめていました。
1組の親子と会うか会わないかくらいの公園、滅多に会わないのがほとんどで。それでも
もしいらっしゃったらその一回ですらダメだもの、
2歳児に今はお友達と近づいちゃダメだなんて言えないもの。

そんなことを心に擦り込むようなことをしなければならないよりは、はなから行かなければいいのだよね。

まだ幼稚園にも行っていないうちの子の、ほかのお友達に出会った時の
あのはにかんで、近づきたくって、嬉しそうで。
本当に可愛らしいあの大事な大事な笑顔を大切にするために、
今は、家にいるのだ。お家でたっっぷりママとあそぶんだ。

うちはありがたいことに、週末に一度、山の麓に借りている畑で
1日いっぱい畑仕事で体を動かして、子供は土遊びをたっくさんして、それでリセットできるから。

こんな時、本当に ありがたい。


そんな風に子供とも過ごせない方々がいらっしゃって
今懸命に動いてくださっている方々がいる。

心からの 感謝を。



早く安心して、あたりまえに笑って暮らせる日が、皆の上に訪れますように。



 

 

 

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つ く し

2020年 3月11日

春の息吹

 天ぷらにて美味しくいただきました。



  毎年、あたりまえに訪れてくれる春のあたたかさ。


 大切な何かを失ってしまった人たちにとっても どうか、優しく届くものでありますように。



つくし


 

 

 

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弥 生

2020年 3月6日

もう3月です。

そして日本も世界も大変な病が流行ってしまっています。

どうかこれ以上広まらずに、安心して過ごせる日々に還っていけますように。






ここずっと、なんだかたっぷり 子供と過ごしてる。
そろそろ制作もしなきゃなのだけれど。
今はこのただただたっぷり子供のこと、家族のこと、家族のためにすることやなんかのこと。
そんなことをみっちり過ごすこと、感じることが本当に嬉しいし幸せだ。


本当に一気におしゃべりが多様になってきて、すごいなぁって。
面白いねぇ。ありがとうね。うれしいね。楽しいねー。




すべての子どもたちがただただ、嬉しく 笑って過ごせますようにと。
いっぱい遊んで、ぐっすり眠れますようにと。
愛されて、抱きしめられますようにと。


それを今しっかり感じられて、その先生きていく 力強い力になりますようにと。


心から、願う。








一月末にひょんなことから中島みゆきさんのコンサートに行った。

私はほとんど聞いたことがなかったのだけれど、主人が好きで聞いていて。
たまたま、ライヴってあるのかしらと調べたらドンピシャのタイミングでラストツアーがはじまるってんで。
当日券のネット販売でパソコンにかじりついて、見事に2枚とれたのだ。

一番近場の福岡公演。行きの新幹線でようやく有名な曲だけ聞き込んで。
そこである一曲に、号泣。静かに号泣。

そしてコンサート!!
堪能しました。。 
しかも号泣した曲がアンコール入る前の、つまりはライヴの締めの曲だったんだもの〜〜感動よ〜も〜

また見たいな。聞きたいな。会いたいな。

一番後ろで、しかも双眼鏡忘れたからさ。表情とか服とかもさ、しっかり見たかったな。
またいつか行こう。
その時は子供も一緒に行けるようになってたらいいな。何年後だろ。でも行きたいな。

だって素晴らしかったのだもの。


帰りの新幹線で以前のライヴのDVD買って、後日それ見てまた同じ曲で号泣。
しかも「ファイト」からのその曲。泣けるわよ〜も〜






こんな風にいいな、すごいなと感じられるものに、これからもたくさん出会えますように。



ひとつ、自分の中の変化として、楽しめるようになってきたんだ。いろんなことを。

小さな頃から今までずっと長いこと。
何かをすること、誰かに会うこと、その他いろんなことをいつもいつも、まずは恐れてしまっていたから。
何かまた体調が悪くなるんじゃないか、辛い想いをするんじゃないだろうか、傷つくことがあるのではないかと。

ようやくこの一年くらいで、その恐れが剥がれてきた感じなのです。
シンプルに、楽しもー、楽しめたらいいな、って。


そんな風に過ごせるようになったこと。
それって、子供とずっと過ごしてきて 得られた感覚なんだもの。
今を生きる子供のおかげで、私まで 今を生きれるようになってきたんだ。




ありがとう。も〜大好き大好きよ。

 

 

 

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新 年

2020年 1月17日

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします






ってもう あけてから随分とたってしまっているのですね。

11月ごろからここ最近にかけて、なんだかいろいろ変換期で。
自分の、家族の、夫婦の。うん、夫婦の。

不思議だけれど、やっぱり 
子供を産む前の二人の関係と、子供を産んだ後の二人の関係は変わって当然だもの。
だって今までいなかったもう一人の立派な命がそばにいるのだもの。
3人になったことも含めて、ホルモンの激動(これはすごいです)諸々があり、日々の蓄積がありなんやかんや。

二人だった時には考えなくても良かったようなことやコミュニケーションの仕方や。

そんなことに一から向き合うようなそんな期間だった。



何より喧嘩のようなことまでできるようになった。これって私たちにとってはすごいことで。


私にとっては、私の中の自己肯定感が確実に豊かになってきてくれたおかげなのだ。
怒れる、ということは。

傷つくことをされたら怒っていいのだということは、自己肯定感がないとなかなか難しい。
飲み込んでしまったり飲み込めなかったり、溜め込んでしまってひねくれてしまったり。

怒れること、その気持ちを相手に伝えることができるということ、それってすごく大事なこと。


もちろん伝え方はアイメッセージ(私を主語にする)で、人格でなく行動について言って。
相手の気持ちもくみながらできる限り話し合いに持っていくような伝え方で〜、なんて頑張るけれど
どんな伝え方でも言われる側はやっぱり不快なのさ。空気は最悪さ。
そっから大抵はだんまりになるところを、なんだか私、喧嘩上等な勢いでつっかかるんだもの。
自分でもびっくり。主人の方が多分びっくり。すみませんね。

でもそのおかげで主人の本音が聞けたのだ。
そのおかげで私も謙虚になれたのだ。


私もまずは、たったこれだけ、自分のできることしようって。



相手に まず共感すること。

主人に、ただただして欲しかったこと。

それが自分もできていなかったから。




コミュニケーションの中で、たった一つこれだけでいいから
この毎日の日々の中で、「そうだね、そうだよね」って言い続けて、

それがいつか二人のコミュニケーションの当たり前の習慣になるまで。



今はまだ、心がけてやってみていて、できたり、あぁできてなかったなって思ったり。
そんなだけど。でも

11月、12月、随分息苦しくて心が折れそうだった時に比べて今、

主人がかけてくれる言葉が変わったから。心が温まるから。
私から主人にかける言葉はどうかな。変わったかな。心温まってくれてるかな。



朝ドラの主題歌歌って、「ほら〜 笑うのーよ〜 赤い太陽のように〜」って
これからも自分を鼓舞して、ブランコで歌うんだ〜、2歳児と一緒に。





そしてそんな気持ちは子どもにも。

「まず承認」!


「コラーっ!立ち歩かないよー!」って言う前に一呼吸置いて
「元気だね〜。ご飯中は座って食べようね〜」って言うのだ。

叱ることはちゃんと叱ろうって決めたのが二日前。
昨日はなんだか強く怖く言っちゃって子供もたくさん泣くし自分も後悔。
夜に子育ての本読み直して「まず承認」を知る。
今日さっそく実践。承認して、肯定形で落ち着いて伝える。

だったらやっぱり、いいんだ。
こちらもカッカして疲れないし、子供ともしっかり目があって、「わ、聞いてくれた」って
そんな瞬間があったのだもの。子供も私も笑顔でいられるのだもの。
その中で叱ることはきちんと落ち着いて言えばいい。それを何度でも何度でもやればいいんだ。




まず 共感。 まず、承認。


今年の目標。





あと ひとつだけ、これができるようになりたいってことがあるのだけれど

それは本当に本当に本気でできるようになりたいから、(共感もだけど!)
できるようになったらここに書こ〜





今年も健康で 心が平和で 笑顔あふれる一年になりますように。


皆様にとっても 良い一年でありますように。

 

 

 

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