寒い冬を
2024年 11月 11日
引っ越しをしてはじめての冬が来る。
元いた場所の時の真冬に使っていた布団では、すでに寒い。
今はまだ仮住まい中で、ここは日中も寒い。
半纏が欲しいなって、ふと母がよく行っていた和小物屋さんなら置いてあるだろうと思いたち
下の子を連れて久々の市内へ。
いつも使っている駐車場にとめて、本通りの方へ行く途中に、
たまたま、母が一生懸命打ち込んでいた習い事の発表会があった会場の前を通った。
ちょっと入ってみよっかって 中に入ったら、10年以上前のことをありありと思い出した。
あぁ、ここでおばあちゃんと座って待ってて、そこに発表会をやり遂げて、
充実して顔がポカポカしたいい表情の母がおばあちゃんのそばに腰掛けて。
母が小指につけていたダイヤの指輪のことをおばあちゃんがキラキラしてよかったよぉと声を掛けて、談笑して。
また仲間のところに駆け寄って、その母たちの写真を撮ってあげて。
あの時、確かに母は 笑っていたと、そう想った。
笑っている母を そこに見た気がした。
本通りを通って、母とよく行った鞄屋さんをすぎて、
こんな渋いのでいいんと笑われながら選んだ下駄屋さんを通り過ぎ、
ここで雪平を買うんよと一緒に話した昔ながらの料理道具やさんに少し寄って、
和小物屋さんのほぼ向かいにある綺麗な和紙がたくさん置いてあるお店の看板をしばらく眺めてから、
行きたかった和小物屋さんへ。
一度、母と入ったことがあったと思う。
母が着物が好きで、ここにもよく来ていたみたいなんですと、話をした。
母が好きだったお店で、半纏を買った。
それがなんだか、とても 嬉しかった。
母の笑顔を 思い出した。
母が好きだったものを思い出した。
母が好きだった世界、小物たち、景色、質感、肌触り、音。
それらをこれから、たくさん思い出すだろうって、そう思えた。
いろんなことがあった、母と娘だったけれど
お腹を抱えてお互い涙が出るくらい笑い合えるのもまた 母だった。
私はまたいつか、母に会えるだろうと思ってる。
この人生でではなく、いつかのまた違う人生で。
その時にはまた、お腹抱えてヒーヒー言いながら涙が出るくらい 一緒に笑うんだ。
買った半纏を着るとこれがまたしっかりしていてあったかい分、
私には重くって肩が凝っちゃってまぁ。
対策として半纏に伊達締めしめて変な格好だけれど、なんだか嬉しいから。
この寒い冬もきっと、なんとか乗り越えられるだろう。
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はじめるという事。
2024年 7月 31日
悲しみの淵の果てにいきかけて
この悲しみをどうしたらいいのかわからないと のたうちまわった後に、
あぁ、多分そうなんだと。
もう 創ればいいんだと。
彫刻を作ればいいんだと。
なんだか言葉にするのが怖かった。なんでだろう。
ずっと心の真ん中で大事にしていた 彫刻というもの。
私にとって、作ることは決して 楽しいことではないんだろう。
心の核心に触れるものだから、覚悟を決めないとできないのだろう。
いつか下の子が幼稚園に入ったら、腰を据えて少しずつはじめようと。
次 はじめたら、もう ずっと続けようと。そう想ってきた。
おおらかな何かから作りたいと願ってきた。
幸せな気持ちから作りたいと 祈ってきた。
実際、この日々を楽しんで今を生きれるようになってきていた。
でも、母を失って改めて想った。
生きることから悲しみを取り去ることなんてできないと。
こんなにも深い悲しみがあったんだと。
いい作品を作れるのかはわからない。
そんなことはとりあえず今は置いておいて。
この悲しみをどうしたらいいのか分からないという真っ暗な淵の底で
自ずから響いてきたその応えに。
本当に藁をも掴む気持ちで それを手繰り寄せれば。
つくればいいと心に聞こえた時に思ったこと。
美術は必要なのだと思った。
ただそれは、己が表現するということにおいてのみ 救われるのだと。
その必死の命が宿ったその何かが 誰かに、共鳴するのだと。
彫刻であろうと、絵画であろうと、音楽であろうと、言葉であろうと。
その一彫りに、
色に、
たった1音にすら、
少しの 行間の余韻の中に。
その必死の命が 伝わるのだと。
悲しみの淵で心から見たいと願ったのは、彫刻だった。
ずっと、心と体を整えることを大事にして一生懸命やってきた。
自分を大切にすること。
家族を、大切にすること。
子どもと、この命丸ごとでそばにいれること。
作ることに依って、どうにかバランスを取るのではなく、
ただあるがままで息ができるようにと。
この日々こそが修練であって、その先にある彫刻と出会いたいと。
今の私なら、できるかな。
自分も、家族との時間も、日々のことも大切にしながらも
1日5分からでもいい、 彫刻との時間を とること。
大丈夫。
きっと なんとかなる。
そう想えるようになれるだけの時間を、上の子が生まれてからこの7年間 一生懸命過ごしてきたんだ。
大丈夫。
少しずつまた 前に進もう。
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紫陽花の季節に。
2024年 6月 25日
紫陽花の季節。
いつだったか 紫陽花は青がいいと、母が言った。
母が亡くなって もうすぐ 半年になる。
日々は過ぎる。
人間って不思議で、感情に波があるのか。
ここ最近はずっと涙がとまらなかった。
考えても考えてもどうしようもないことも。
何を考えようとしているのかも。
言葉にはできない、どうにもストンとお腹に降りてはくれない何かが。
コップにもう表面張力でなんとか持っている水面が常に揺れていて
何かのはずみでもない、なんでもない時に ふっと溢れ出る。
時間が過ぎるほどにその悲しみを表現できる場を失って、ひとり揺れていた。
なんのことはない、家族に「気持ちを言いづらくなってて苦しいんだ」と伝えてみれば 家族もそうなのだ。
ただ、世の中にどれほどの癒えない悲しみがあって
共有できる家族も環境もなくて、その中で 生きていくこと。
そんな状況がこの世の中に どれだけ在るのだろう。
日々、どこか霞の中に入りこんでいきそうな頭のなかを、
日々、家事や育児やで体を動かすことでなんとか晴らして。
母が残してくれたものに ひとつひとつ気づいて、かき集めて
知って、守って、育んでいけたらと、なんとかつなげて。
こんなにも初めて、大切な人を突然失う悲しみをようやく知った若輩者としてできることなんて
結局は今までと同じように、
自分を大切にして
家族を大切にして
生きとし生けるものの幸せを願って
ひと時も離れることのない 母への言葉にならない想いを纏って
今の この自分で 今日この日を、できる範囲でいいから
丁寧に 生きていくこと。
今はまだ それでいい。
紫陽花の季節に。
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母と共に
2024年 3月 5日
日の出前、きれいだった。
昨年末 母が亡くなった。
きれいな人だった。
日々は過ぎていくし 春には引っ越しもする。
やらなければならないことはたくさんあるはずだけれど。
ずっと頭に、景色に ぼんやりとした薄い膜がはっていて、つかめない。
大切な人が 突然逝ってしまうこと。
母に やっぱりまだ会いたいと想ってしまうことも、いろんな気持ちが巡ってしまうことも。
すべてひっくるめて、
今も 母と共にあるんだと。
まだ底の見えない悲しみと共に生きた先に
お母さんって言って、また笑える日がくるように。
今日も精一杯 息をする。
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ひさびさに
2023年 11月 17日
ひさびさに木を彫った。
下の子ももう一歳過ぎて、とことこ歩きます。
かわいいっ! 毎日、かわいいなぁかわいいなぁって言ってる。
上の子に対して、このやろーってくらい にくたらしい時期があったけど笑
色々対策がきいて、あんたもかわいいのぉって過ごしてる。
はぁー、ありがたや。
ありがとう、子どもたち。ありがとう。
上の子の幼稚園で「そうさくらんど」っていう催し物デーがあって、
それぞれの学年、それぞれのクラスでテーマを決めてみーんなで色々作って飾って。
1日だけ保護者も来てそれをたーくさん見て回れる日がある。
それに保護者や卒園生も作品を出してよくって。
ある時幼稚園で剪定した木がいる人いりませんかーって園長先生のブログに書いてあってさ。
それ見たときに自然に、その木でなんか作れたらいいなぁって思ったのだ。
夫もいるっていうしさ。
もらいに行こうかなぁって考えているうちに自然に作りたい子が浮かんで来て、
もう作る気持ちが 8割超えて、もらいに行ったらえらい硬い木で笑
こりゃあ彫れんわってなったけどもう作りたい子がいたから手持ちの檜で作ることにしたさ。
こんなに手を動かしていなかったのに、こんなに自然に作りたいなぁって作れたことが。
とてもありがたく。また作れたぁって少し、感慨深く。
ひさびさに現れてくれた子は とてもかわいくってさ。
この幼稚園はどろだんごを作るのさ。
私も行ってた幼稚園。うん十年ぶりに作ってみたどろだんごもピカピカに作れたさ。
サラ粉名人(自称)だったからね。
全部のクラスの帽子の色を混ぜて 虹色みたいにして。
みんなが一生懸命に作るどろだんごは ピカピカに、金色に光って。
子どもたちがこの幼稚園で、それぞれ一所懸命に遊んで 過ごして。
そのかけがえのない時間や 友達や ぜんぶぜーんぶが
君たちがこれから歩いていく 光り輝く未来を、もっとピカピカに照らしてくれますように。
そんな 願いをこめて。
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6ヶ月
2023年 3月 23日
あっという間に6ヶ月。
生えたてのはじめての歯で 離乳食もぱぷぱぷ食べてます。
あれやこれやらの日々は書き始めたらまた長くなりそうなので。
(いま描いてたら長くなっちゃったからぜーんぶ消してこれに)
あれやら何やら楽しんで、マァ苦しかったこともなんとかなって。
夜しっかり寝てくれるようになって。お乳もしっかり出てくれて。
家族とのコミュニケーションも、ハァ〜幸せだねぇなんてつぶやいてるんだから。
ほんとにほんとに ありがたいことです。
えらいかわいいのだよ、うちの赤ちゃん。
でもご機嫌タイムが短くって少し座らせといたら 泣いちゃうねぇ。
ついついお兄ちゃんと比べてしまって、よく泣くねぇと思ってしまうのだけれど。
兄弟で比べるなんて したらかわいそうだねって。思うから。
泣くなら泣くで抱っこしましょう。おんぶしましょう。
今しかできない時間だから。
昨日そう想えたから。
おんぶしましょう。抱っこしましょう。
いーっぱいほっぺにチュウを いたしましょう。
今日もいっぱい ありがとう。
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出 産
2022年 10月 22日
9月の吉日。
3740g の男の子、満月の日に無事に生まれてきてくれました!
母子ともに元気でやっています。
上の子にとっても、下の子にとっても
柔らかくって あたたかい太陽とあれますように。
上の子よ。ホルモンバランスの崩れなのか、ママの精進が足りないのか、
イライラしてしまってごめんよ。
また一歩 前に進むからね。
休める時に休んで やるときゃやりましょう。
まずは赤ちゃんのお世話、上の子とのコミュニケーションスキンシップ。家事もろもろやね。
楽しもう〜〜
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臨 月
2022年 8月 17日
最近そういえば あれだけちょいちょいと顔を出していた心の鬼が どこかに行ったようだ。
あまり意識していなかったけれど。
ただ、朝起きた時に 自分で決めている言葉たちを一通り心の中で唱えてから、深呼吸をいくつかすること。
それから起き上がること。
冷蔵庫に貼ってある張り紙をふと 少しだけ読むときがあること。
寝る前に「よかったこと、うまくいったこと、ホッとしたこと」を一つずつ簡単に思い返してから寝ること。
このことだけは必ず繰り返している。
何ヶ月も変わらず、必ず。 それはもう 習慣だ。
自分の心と体を整えるために きっと身につけてきた。
どこかできっと 気を緩ませず、心の上書き保存を続けてる。
それはとても大事なことだよなぁって思ってるんだろうな。
だろうなって、なんか他人事のようなのは、もう習慣になってて 強く意識してることではないからかな。
ここにまだこうやって書くということがまだ、意識の中にあるということをも意味するのだろう。
この先もっと自分の一部になっていったらいいな。
十牛図の中のどこかの過程のように、いつか何も意識することなく 自然に溶けて。
自分の心の鬼が出なくなったこの頃に、人の心の中に巣食う鬼に気づくことがあった。
自分に向けられる攻撃性になんでかなぁと何日かざわざわしていて
ある朝起きた瞬間に想ったんだ。あぁ、私の中の鬼が暴れていたように
あの人の中にも鬼がいるんだって。
そしたらふとこちらの心がまず 軽くなった。
そうであるならば、その人自身が誰よりも つらい状況なのだということがわかったから。
その攻撃性に対して沸き起こっていた自分の防御の姿勢が解けて、
何をしてあげれるんだろうと、心の向きが変わるのがわかった。
自分の心の鬼にあれだけ、どれだけ一人で決意して覚悟を持ってして 向き合い続けたからこそ、
他者の心の中の鬼に、気づいてあげられたんじゃないかって。
自分の心を整えることを忘れず、他者の心の想いに少しでもいいから 寄り添えたらと願う。
これから、そんな自分を育てていけたらいいなと思う。
今日、ある曲を聴いて、いつもなら自分の中の想いよ届けーって気持ちが膨らむ曲だったのに、
誰かのそんな気持ちよ、きっと届けーって気持ちが膨らむのが分かった。
私はまたいつか、自分の作品を作るのかな。作りたいと心の真ん中でずっと大切にしているけれど。
それと同時に、誰かの気持ちを届けること。そんなことも 何か形にしていけたらいいな。
心の変化を大切にして、ていねいに 育てていけたら。
そしてそして、よーーし!
つい先日、無事に臨月をむかえました。
もうすぐ第二子、出産します。
元気な赤ちゃん産むぞー!
このご時世、立会いなしだ。ママは呼吸をどうにかどうにか整えて笑
赤ちゃんと一緒に頑張るからねー!
今は家族3人の時間をたっぷり堪能しています。
幸せな幸せな時間を ありがとうね。
もうすぐ4人だ。
これまた幸せな時間を過ごしていこうね〜
たくさんの命に、たくさんの気づきに。
今日もたくさん ありがとうございます。
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新 緑
2022年 5月 3日
新緑のこの季節が大好き。
少し標高の高いキャンプ場は 今が最高にきれいな色とりどりの緑だった。
あの美しい緑の重なりを見るたびに思い出すのが、通っていた大学のある八王子の山の新緑。
通学のバスから見えた新緑の美しさに ハッと目が覚めるような。
あの感動はずっと忘れない。
子どもと主人が ほんの10分くらいの小さな山登り冒険に出かけてる間に、
ひとりで新緑の木々に囲まれてそんな事を思い出してて。
なんだか想った。
眩しいくらいに心に残ってるあの景色みたいな一瞬が、
今 目の前でころころと色んな愛しい表情を見せてくれるこの子と、主人とのこの生活の中にあふれてるじゃんって。
毎日毎日、子どもと一緒に「心のシャッター、カシャっカシャっ!」って言ってるあれって、
ほんとにそうじゃんって、改めて。
このあまりに愛しい日々が 思い出としてではなく、ずっと続いていく一瞬 一瞬として。
大切に育てながらも、しっかりと今ここに 根っこをのばして。
一生懸命 生きていきたいと想う。
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たゆまぬ努力
2022年 2月 22日
たゆまぬ努力を忘れてた。
ここ最近、何だか子供が好きすぎて
好き好き攻撃を続けてたら(好きの感情を垂れ流し)
いつの間にか他のネガティブな感情まで知らない間にしぜーんに垂れ流れてたみたいで
気が付いたときにはぐったりしてた。
何だろうこれと思ったら、「好き」がいくらいい感情であっても
それでも感情の垂れ流しをして、日々の心の姿勢を整える精進を忘れてたことに はたと気づいたのだった。
ハァ〜、人間ってすごいな。本当によくできてる。
感情は、大切なものだし、いろんなことに気づかせてくれるものであるけれど、
やはりそれに気づいて コントロールしていかなければ
自分がその感情にいつの間にかのまれてしまってるものなんだ。私の場合。
最近あれこれ気になってたことも全て、自分の体と心を整えることをサボってたこと。
せっかく身につきかけてたことも気がつけば おじゃん。ガーーン。
でもきっと大丈夫。
すぐ思い出せるさ。
日々のたゆまぬ努力。 精進。
続けてまいりましょう。
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新 年
2022年 1月 7日
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
穏やかで 健康であれますように
日々 おもしろがって、発見して、堪能していきたいな。
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年 末
2021年 12月 30日
いやぁ、今年がおひらきでありますな。
この一年、めっちゃ前進したな。
自分の人生としても、主人との関係も、そして、子供との日々も。
ありがたすぎる。ありがたすぎる。
幸せだなぁと、かみしめるように 想う。
それにあぐらをかかないで、今までと同じように
日々、家族のために 自分のために できることを見つけては、丁寧にやっていくんだ。
来年もどうか、そうあれる日々でありますように。
皆様にとってもどうか ほがらかで豊かな日々でありますよう、心より 願っています。
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ぜんそく
2021年 12月 7日
喘息になっちゃった。
何よりきつかったのが、はじめの2週間のみ続けていた喘息のためのお薬の副作用で、
強烈に強引な力で不眠の方に引っ張られてしまったこと。
夜中に体や頭というか脳みそがカッカと燃えるように熱くて
うなされるようにウワッ、ウワッてなり続けるという日々。
自律神経が薬の力でおかしくされてたんだな。
お薬をやめた途端、その熱さとうなされるのがなくなった。
でも2週間直接脳みそになんか作用されてたからか
なかなか不眠が取れなくなってしまった。
こんなこともあるんだな。
なっちまったもんは、しょうがない。
ここからどうしていくか、また考えよう。
喘息になってよかったことは、息のしかたがようやく分かったこと。
今までやってた腹式呼吸は全くもって息を吸えてなかった。
喘息をよくする呼吸を調べていたら、肺の奥までしっかり吸える腹式呼吸の仕方がわかった。
そしてそれが、ずっとずーっとなおしたかった姿勢の悪さを、
クッとよくしてくれそうなんだ。
その息の仕方だと自然に、というか姿勢をよくしないと息が入っていかない。
いーもん見ーつけた!
喘息の吸引器はしていかなきゃだけれど、ただじゃぁ起き上がらないもんね。
すっごい姿勢美人になってやるんだ。
あと、やっぱりヨガが良さそうなのだ。
これは今からじっくりはじめていく予定。
そして、大切にしたいから これはまた別の機会に書こう。
色々あったこの一ヶ月、これまた大切な時間だったな。
子供とは面白楽しく、主人とは今まで以上に協力して。
ありがとう。
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きめつ
2021年 10月 25日
きめつのやいば にはまっている。遅ればせながら、たった一人で。
アマゾンプライムで、みんなが言ってるアニメとはどんなものぞやとちょっと見てみたら、
呼吸がすっごく大事なキーワードになっててさ、
全集中常中ってもうマインドフルネスではないか!?とか思ったりしながら次々見ちゃって、
もうそんなことはおいといてただただ好きになっちゃったっ
子育てにおいて、あるあるだとは思うけれども
ついつい大きな声で怒っちゃうことってあるものさ。どうにかならんかなぁって色々やってきたけれど。
きめつのやいばのおかげで飛躍的に楽になったんだ。
はじめは子供にちょっとイライラし始めた時とかに
「水の呼吸、拾壱ノ型 凪!」って言って自分を鎮められるかなぁってやって見たけれど うまくいかず。
勝手に「愛の呼吸」っていうのを作って(やっぱり自分にあった呼吸に変えていかなきゃよ)
型を作っていったらこれが自分にしっくりはまった。
壱ノ型! 肯定系(〜しようね)
弐ノ型! 一緒に(やってみよっか)
参ノ型! 共感(そうなんだね、〇〇なんだね)
肆ノ型! ほめる(普通のことはすでにできている)
伍ノ型! 待つ(親も子も切り替えの時間が必要)
陸ノ型! 落ち着く(深呼吸する。離れる。他のことを考える)
漆ノ型! 聞く(なぜそうなったのかな?どうしたらいいかな? ※あくまで落ち着いて)
捌ノ型! 全肯定(それでいいよっ)
いかん、これは怒りそうよ〜ってなってきたら、きめつの戦士ばりに、「シぃぃーーっ」って息吐いてる間に
なんの型にするか考えてたら、結構いけるんだこれが。
そんでもって、楽しい。
落ち着くのを待ってる間に共感の気持ちが湧いてきて、そりゃそうだよねーって、
ねぇーって、ギューってニコニコしておわれるんだこれが。
きめつ見た時に思ったのが、呼吸を持ってして、いろんな鍛錬を重ねて
時にはくじけそうになりながらも自分を鼓舞し続けて、仲間とも繋がっていく。
私はどこかで、自分の中の心の鬼と戦うように見ていたと思う。そしてすっごく励まされてた。このアニメに。
自分がずっと一人で、静かに決意してやってきたことを、最後もう一押し背中を押してもらってるような。
そんな気持ちで毎夜毎夜、子供を寝かしつけた後、アニメや漫画を見続けてもう二ヶ月くらいたつか?
未だ見続けて、自分を鼓舞してる。毎日毎日オープニングテーマの「紅蓮華」を聴き続けてる。
「強くなれる理由を知った」って歌詞を聞いては家族や子供を思い浮かべてる。
「変わっていけるのは自分自身だけ それだけさ」って聞いては気合を入れてる。
大丈夫、お前は大丈夫だって。超えていけるって。
だって本当に、毎日が楽しいんだ。
何かあってもこの愛の呼吸の型を使って笑顔に変えていけるって思えるものにまでなったから。
それがもう日々の中の実感としてあるところまで来れたから。
きめつに心からありがとうです。
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キラキラした
2021年 7月 6日
子供はすごいな。毎日毎日 一生懸命だ。
と言うよりも、そんな姿や姿勢を後から大人が一生懸命って言ったのかな。
子供はただ、本来あるがまま 今ここに生きているのだから。
そんな子どもの邪魔をしないように。
のびやかな心を そのまま大きくしていってくれる方へ、どうか。
自分がかけている言葉が 今はまだこの子の顔を曇らせてしまうことを言ってるって
そんな自覚があるから。
これから自分がかけていく言葉がきっと、目の前の子供の顔を輝かせるものにできるように。
一日一日、ひとつずつでも。
心して 変えていくぜよ。
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祈りの先へ
2021年 6月 17日
自分の中に知らず知らずずっと閉じ込めてきた何かを
ようやく開け放つ事ができた。
すべて。 扉を開いて。 蛇口から全部全部垂れ流すように。
彫刻と出会って、彫刻のおかげでたくさんの人と出会ってきた。
大切な人とたくさん。
彫刻と出会わなければどうなっていただろう。
もう大丈夫。きっと大丈夫。
ここまで頑張ってきたこの命に、
彫刻に、
出会ってきた大切な人たちに。
感謝を。
ようやく 今を生きられる。
そう 想った。
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ゆ め
2021年 5月 4日
最近、ずーっと前に想っていたことをふと思い出すことがあった。
それはそのまま また新たな温かみを持って、心の中にほんわりと留まってくれている。
そんな中、ある美術家さんの言葉に触れた。
つまりは「作っている時にこそ生きている感じがする」というもの。
言わんとすることはよくわかるし、この世界のたくさんの表現者たちの中にはそういう人は多いと思う。
ただ、昔からそうなのだけれど。
やっぱり私には、どこか違和感が残るものだった。
その人が孤高の中で、(それは精神のことだけではなく環境も人間関係も)生きていて創っているのならすっと入ってくるかもしれないけれど、身近に家族や 夫や妻や子供がいる人なら。
その家族がもしこの言葉を聞いたらどう思うだろう。
私はそう想ってしまう。
その人の家族がどこか傷ついたり、さみしい思いになってうつむいたりしているような そんなことを想像してしまう。
「じゃあ自分たちといるときはどうなの?」って、そう悲しくはならないだろうかって。
その美術家さんは家族も子供もいることを知っていたから。
なぜ、もしかしたら家族がその言葉を目にするかもしれないのに その言葉を公に書けるのだろう。
家族の思いには、想いが至らないのだろうかと。
制作こそが、作品こそが何より大事なのだと、そういう表現やその人となりのあり方に違和感を覚えた20代の頃と同じ違和感を、15年経った今も感じる自分がいた。
だから私はやっぱり、そうなんだ。
自分がありたい姿やありたい方向は、最近思い出して 改めて大切にしていた気持ち、
やっぱりそっちなんだと気づかせてもらった。
私にとっては、この日々こそが 何よりも大切なんだと。
家族がそばにいてくれること、その中で笑顔で過ごせること。
いまここに 在れているということ。
そこに 丁寧に気づいて、ありがとうと 言えること。
それを大切にできる自分であれるよう、日々自分をととのえて。
そこからだ。そこから、その上でなお 作ることができるのであれば。
そこに 私が会いたい彫刻が 在る。
そんな気持ちの土台から、しっかりこの日々に根っこを伸ばしたおおらかな何かから。
立ち現れてくれる表現に、私自身が 会ってみたい。
一番近くにいる家族の笑顔を守れるような 強さとしなやかさを。
そんでもってその日々を楽しめる余裕を持って。
静かな そして大きな夢に向かって、
今日も、明日も 一歩ずつ 前に進んでいけますように。
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レザークラフト、はじめました。
2021年 3月 8日
2020年秋頃から レザークラフトをはじめました。
HIRAYAMASAYO ⚫︎ ▲ ■
革製品を作る時に思うことを言葉にしたので ここに。
「彫刻家 / 平山紗代が、気ままに作る 革小物。
シンプルで
ここにしかなくって
ほんの少し うれしくなるもの
この日々を共に喜び、やさしく寄り添えるような
そんな何かを。
2020年にはじめた革小物は、ずっと向き合ってきた彫刻と同じように、
作る真ん中は きっと一緒。
気がついたらそばにいてくれて、励まし
前を向かせてくれる。
いつしか宿り、共に歩む。
そんな何かがこの手から生まれてくれて、
誰かにそっと届けられたら。
そんなことを願いながら 少しずつ、これからも創っていきたいと想っています。」
そして、
● ▲ ■ のロゴについて少し。
素直にいい形を、と思っています。
ずっと彫刻でも形とひたすら向き合ってきたから。
もうひとつ、自分の中の深いところにずっとある、江戸時代の禅僧の仙厓義梵(せんがい ぎぼん)の書いた禅画
「○△□」。
強く想うのではなく、今はもう深いところに静かに この禅画が自分の中にあります。
20代の頃から、禅の思想やら禅画やら、禅の呼吸法やら、とても想うところがあり好きで。
仙厓さんや白隠さん、修験僧の円空さんや木喰さん。好きで。
彼らにとってはきっとそれらは教えの表出であって、美術でも芸術でもなく。
それでも、それだからこそ、彼らのてらいのない表現にひかれていました。
十牛図なんかもとても心に響くものがあり、今でも自分の奥深くで静かに大切にしています。
調べれば多分いろいろ出てくるこの禅画の解釈、円相や真理やそんなこと。でも今はそういうものは遠く。
私にはこの「○△□」は、○でも △でも □でもいいんだよ〜って、そう言ってくれているような気がするんです。
それぞれ、いいかたちですよ、ねぇ〜って、難しく考えなさんなって、なんかそう言ってくれてる。
大そうな円相も、饅頭にして「これ食うて茶ぁのめ」ってそう言ってくれる仙厓さんだから。
死ぬ間際に「死にとうない」って、そんな この世を愛おしむ仙厓さんだから。
特にこの禅画を意識して生きていたわけではないけれど、子供を産んで、いろいろあって、それを超えた先に ふと現れてくれた「今を楽しんで生きる」ってことが。
20代も30代もあれやこれや知識を入れ込んで本を読み漁って必死に求めて求めて、必死になって実践して、パンパンになるまでやって。
そんで、ふと力が抜けたその時に いつしか自分で意識することなく ずっと近づきたかった「いま ここ」に、しっかり息をして 在ることのできている自分がいることに気づいた時に。
なんだか仙厓さんのこの禅画が心の中に浮かんだんです。
それでいいよーって。
それは自分自身にも、そして 大切な他者にも。
革製品を本気で作ってみようと、そして刻印のことを思った時、自然に ● ▲ ■ が浮かびました。
素直に いいかたちを。
いい形を、いまここを一所懸命に生きて、楽しんで、作っていけたらと思っています。
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パンク・ロック
2021年 2月 27日
今日家族で車に乗ってて、私が運転してて、主人が私のアイフォンの中のブルーハーツかけて。
私はおんなじ曲ばっかし聞くタイプだから、持ってるくせにほとんど聞いたことがなかった「パンク・ロック」って曲がかかって、それが なんか、すごくよかったんだ。なんか、もっと早く出会いたかったって思った。
あの、不器用にしか生きれなくて、必死に作って作って もがきながら必死にひたすらに作ることに向かい続けてたあの頃に出会ってたらどれだけ勇気をもらえただろうって。
だから今出会えてよかった。
あの頃からずっとつながってる夢は いまも心の真ん中にあって、それはいま、ただ一生懸命家族と、子供と、今日を楽しんで生きようって気持ちにもつながってるから。
そんなことを感じた日に、もう何週間も前からこの連載は読もうって決めてた甲本ヒロトさんの連載が、今日はじまってた。
もう、バシッときたんだ。
この人がいてくれてほんとによかったな。
彫刻を選んだから出会えたんだ。
予備校や、大学のアトリエやアーケード下で。
パンク・ロック
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新 年
2021年 1月 2日
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
おちついて ていねいに、いついかなるときであっても良いところを見出せる そんな人になれますように。
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熾火
2020年 11月28日
久々のキャンプ。
ペーパードライバーを18年ぶりに卒業して、家族を車に乗せて 島根県は三瓶山まで。
とってもよかったな。また行こう〜
焚き火のあとの ゆらゆらと、ずっと静かに燃える赤がとても綺麗で。
熾火「おきび」って言うのですって。
意味を調べたら
「熾火」の意味1: 赤く熱した炭火
「熾火」の意味2: 激しくはないが継続する感情・愛情
なんか、とても感じるものがあった。
静かだけれども、ゆったりと長く けれど確かに続いていく気持ち、想い。
人にも、ものにも、彫刻への想いも。
熾火のように。
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毎日
2020年 10月9日
ひとつ、これからずっと大切にしていきたいものに ようやく手が届いた気がする。
私、がんばったと想う。がんばったよ。よかった。
いろんなことに感謝だ。
今、ちょっと読んでいる本に、「最高に幸せだった日は?」って質問があって、
本当に素直に、「一番幸せなのは今だと思う。心から。」って書いてた。
だから本当に思った。
今を大切にしようって。
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海
2020年 7月15日
19歳の時に、強く心に想ったこと。
「やさしくなりたい」
結局は今も、そのことが真ん中にあるんだな、きっと。
今もその夢を追い続けてるんだな。
本当に本当に、本当にするために。
こういう場合はこうしたらどうだろう、そうかこういう感じでいけばいいかな
メモして心にいつも留めて、ああしてこうしてこうやって。
いつの間にかやらなければならないことばかりが溜まって心がいっぱいになってて。
ちょっとしたことですぐに心の余裕がなくなっていてイライラしてる自分を止められず。
この一週間くらいずっと、いつ自分がイライラしてしまうのか。
そんな気分が取れなかったところに、たまたま「めがね」っていう映画を見た。
前にも見たことがあったけれど、その時は少し価値観の押し付けを感じてしまって
ちょっとなぁって感じていた映画だったのだけれど、
今回見たときにふぅーっと力が抜けるような、心の中に心地よい空間が広がる感じがした。
そんで、あぁそうか、こーんな心の空間を ふぅーっと取り戻す時間を
1分でも30秒でも持つように意識すれば何か変わるかもなって、思えたのでした。
その空間が、自分にも人にもやさしくあれる余裕を自分に与えてくれるだろうって。
ついつい私は、こういう時はこうしてみようって、何かしらのコツやらルールやらを
実践してみたり反省してみたりを繰り返すのだけれど、
ただただ、心地よい凪のような空間をどうにかもち得れば、
あとはただ、今にとどまって相手の声を聴いてさえいれば、それでどうにかなるのかもな。
その空間が、私にあと一歩 やさしくあれるように導いてくれるかな。
映画の中で字幕のないドイツ語のセリフが続くシーンがある。
ここに書いたようなことを感じた後に、ふと気になって何を言っているのか調べてみた。
やっぱりそうだな。
「そろそろ持ちきれなくなった荷物をおろす時
もっとチカラを やさしくなるためのチカラを
何が自由か知っている
何が自由か知っている」
この映画をこうして 穏やかな気持ちで見れるようになった私に出会えてよかった。
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シンプル
2020年 5月16日
今を、ほんの少しだけご機嫌で過ごすこと
それができたらほんと、それだけでいいな。そういうことなんかな。
いつもいつもそうだけれど、
今を生きる在り方、気持ちの在り方、心の在り方。
あれもこれもいろいろ気にかけて実践しながら試行錯誤して
うまくいかなかったり、少し気づけて軌道修正できたりできなんだり。
今日は少しできたー、とかって自分なりには日進月歩の毎日だけれど。
自分が今までも今も一生懸命やっている心の姿勢の在り方への模索は、
つまりシンプルに簡単にスッと言っちゃえば、
今を微笑んでいられるくらいにご機嫌に過ごせていること、そういうことかなって思った。
いろんな宗教もスピリチュアルも賢人の考え方も瞑想やマインドフルネスや自己啓発やらなんやかんや。
目指してるところは、そーんなシンプルなところ、なのかな。
うん、だから難しいってのもあるな。やっぱり。
今、ここに、ある。ってことは。
一度頭がもうごちゃごちゃしてしまって何層も何層も靄がかかってしまった人間にとっては、
そこにたどり着くのはやっぱり、簡単じゃないよな。
ついつい過去の良い状態の時とか、
こんな風だったらなとか今ここにないことへの憧れだったりとか。
過去やら未来や現状の不満やらにあちこち頭が飛んじゃうけれど。
目指すところはすごくクリアーでシンプルな場所なんだ。
もちろん今一生懸命やってみていることがうまくできたりした時の心持ちやらを感じることができたり、
やってみたからこそ、できた瞬間があるからこそ感じられたことだから、本当に全ては無駄ではないのです。
だからこそなんか、そう思えた。
今やってることが本当に自然にできるようになれた時ってつまり、
今を、いろいろあってもうん、そういう時ってあるよね〜大丈夫大丈夫、って思えてさ
人も物も事も7割くらいでいいところをキャッチできるような心でご機嫌でいられれば。
きっと10割じゃないってところがミソだよね、仏様じゃないんだからって、今は思える。
うん、頭の中ではまだ、もっとこうありたいしここのところももう少しこうできたらって
いろいろもたげては来るけれど。
とりあえず、ちょっとご機嫌でいられたら、その心の余裕もできてくるんじゃないのかな。
今と、ほんの少し先の未来だけを、そこはかとない安心感を持って過ごせたら。
ま、まだまだ色々あっても、人間だものって、自分にも正直でいられれば
そこからまた毎日毎日やってみればいいんだ。
明日もまた少しずつ、心がけて1日を過ごそう。
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おうちで過ごすこと
2020年 4月21日
4月ももう後半。
先日広島にもコロナの影響で緊急事態宣言が出され、毎朝9時に廿日市市からの
不要不急の外出を控えるよう求める 市内放送がかかるようになりました。
観光地がすぐ近くなので、結構早い段階から駅の方には近づかないようにしていたし、
スーパーも地元の人くらいしか行かなそうなところに変更して、
夜中に主人がまとめて買い出しをしてくれる日々が続いていた。
2月3月頭くらいまでは近所の公園には週に2回くらいは行っていたけれど、
緊急事態宣言が出される前にもう行くのをやめていました。
1組の親子と会うか会わないかくらいの公園、滅多に会わないのがほとんどで。それでも
もしいらっしゃったらその一回ですらダメだもの、
2歳児に今はお友達と近づいちゃダメだなんて言えないもの。
そんなことを心に擦り込むようなことをしなければならないよりは、はなから行かなければいいのだよね。
まだ幼稚園にも行っていないうちの子の、ほかのお友達に出会った時の
あのはにかんで、近づきたくって、嬉しそうで。
本当に可愛らしいあの大事な大事な笑顔を大切にするために、
今は、家にいるのだ。お家でたっっぷりママとあそぶんだ。
うちはありがたいことに、週末に一度、山の麓に借りている畑で
1日いっぱい畑仕事で体を動かして、子供は土遊びをたっくさんして、それでリセットできるから。
こんな時、本当に ありがたい。
そんな風に子供とも過ごせない方々がいらっしゃって
今懸命に動いてくださっている方々がいる。
心からの 感謝を。
早く安心して、あたりまえに笑って暮らせる日が、皆の上に訪れますように。
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つ く し
2020年 3月11日
春の息吹
天ぷらにて美味しくいただきました。
毎年、あたりまえに訪れてくれる春のあたたかさ。
大切な何かを失ってしまった人たちにとっても どうか、優しく届くものでありますように。
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弥 生
2020年 3月6日
もう3月です。
そして日本も世界も大変な病が流行ってしまっています。
どうかこれ以上広まらずに、安心して過ごせる日々に還っていけますように。
ここずっと、なんだかたっぷり 子供と過ごしてる。
そろそろ制作もしなきゃなのだけれど。
今はこのただただたっぷり子供のこと、家族のこと、家族のためにすることやなんかのこと。
そんなことをみっちり過ごすこと、感じることが本当に嬉しいし幸せだ。
本当に一気におしゃべりが多様になってきて、すごいなぁって。
面白いねぇ。ありがとうね。うれしいね。楽しいねー。
すべての子どもたちがただただ、嬉しく 笑って過ごせますようにと。
いっぱい遊んで、ぐっすり眠れますようにと。
愛されて、抱きしめられますようにと。
それを今しっかり感じられて、その先生きていく 力強い力になりますようにと。
心から、願う。
一月末にひょんなことから中島みゆきさんのコンサートに行った。
私はほとんど聞いたことがなかったのだけれど、主人が好きで聞いていて。
たまたま、ライヴってあるのかしらと調べたらドンピシャのタイミングでラストツアーがはじまるってんで。
当日券のネット販売でパソコンにかじりついて、見事に2枚とれたのだ。
一番近場の福岡公演。行きの新幹線でようやく有名な曲だけ聞き込んで。
そこである一曲に、号泣。静かに号泣。
そしてコンサート!!
堪能しました。。
しかも号泣した曲がアンコール入る前の、つまりはライヴの締めの曲だったんだもの〜〜感動よ〜も〜
また見たいな。聞きたいな。会いたいな。
一番後ろで、しかも双眼鏡忘れたからさ。表情とか服とかもさ、しっかり見たかったな。
またいつか行こう。
その時は子供も一緒に行けるようになってたらいいな。何年後だろ。でも行きたいな。
だって素晴らしかったのだもの。
帰りの新幹線で以前のライヴのDVD買って、後日それ見てまた同じ曲で号泣。
しかも「ファイト」からのその曲。泣けるわよ〜も〜
こんな風にいいな、すごいなと感じられるものに、これからもたくさん出会えますように。
ひとつ、自分の中の変化として、楽しめるようになってきたんだ。いろんなことを。
小さな頃から今までずっと長いこと。
何かをすること、誰かに会うこと、その他いろんなことをいつもいつも、まずは恐れてしまっていたから。
何かまた体調が悪くなるんじゃないか、辛い想いをするんじゃないだろうか、傷つくことがあるのではないかと。
ようやくこの一年くらいで、その恐れが剥がれてきた感じなのです。
シンプルに、楽しもー、楽しめたらいいな、って。
そんな風に過ごせるようになったこと。
それって、子供とずっと過ごしてきて 得られた感覚なんだもの。
今を生きる子供のおかげで、私まで 今を生きれるようになってきたんだ。
ありがとう。も〜大好き大好きよ。
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新 年
2020年 1月17日
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
ってもう あけてから随分とたってしまっているのですね。
11月ごろからここ最近にかけて、なんだかいろいろ変換期で。
自分の、家族の、夫婦の。うん、夫婦の。
不思議だけれど、やっぱり
子供を産む前の二人の関係と、子供を産んだ後の二人の関係は変わって当然だもの。
だって今までいなかったもう一人の立派な命がそばにいるのだもの。
3人になったことも含めて、ホルモンの激動(これはすごいです)諸々があり、日々の蓄積がありなんやかんや。
二人だった時には考えなくても良かったようなことやコミュニケーションの仕方や。
そんなことに一から向き合うようなそんな期間だった。
何より喧嘩のようなことまでできるようになった。これって私たちにとってはすごいことで。
私にとっては、私の中の自己肯定感が確実に豊かになってきてくれたおかげなのだ。
怒れる、ということは。
傷つくことをされたら怒っていいのだということは、自己肯定感がないとなかなか難しい。
飲み込んでしまったり飲み込めなかったり、溜め込んでしまってひねくれてしまったり。
怒れること、その気持ちを相手に伝えることができるということ、それってすごく大事なこと。
もちろん伝え方はアイメッセージ(私を主語にする)で、人格でなく行動について言って。
相手の気持ちもくみながらできる限り話し合いに持っていくような伝え方で〜、なんて頑張るけれど
どんな伝え方でも言われる側はやっぱり不快なのさ。空気は最悪さ。
そっから大抵はだんまりになるところを、なんだか私、喧嘩上等な勢いでつっかかるんだもの。
自分でもびっくり。主人の方が多分びっくり。すみませんね。
でもそのおかげで主人の本音が聞けたのだ。
そのおかげで私も謙虚になれたのだ。
私もまずは、たったこれだけ、自分のできることしようって。
相手に まず共感すること。
主人に、ただただして欲しかったこと。
それが自分もできていなかったから。
コミュニケーションの中で、たった一つこれだけでいいから
この毎日の日々の中で、「そうだね、そうだよね」って言い続けて、
それがいつか二人のコミュニケーションの当たり前の習慣になるまで。
今はまだ、心がけてやってみていて、できたり、あぁできてなかったなって思ったり。
そんなだけど。でも
11月、12月、随分息苦しくて心が折れそうだった時に比べて今、
主人がかけてくれる言葉が変わったから。心が温まるから。
私から主人にかける言葉はどうかな。変わったかな。心温まってくれてるかな。
朝ドラの主題歌歌って、「ほら〜 笑うのーよ〜 赤い太陽のように〜」って
これからも自分を鼓舞して、ブランコで歌うんだ〜、2歳児と一緒に。
そしてそんな気持ちは子どもにも。
「まず承認」!
「コラーっ!立ち歩かないよー!」って言う前に一呼吸置いて
「元気だね〜。ご飯中は座って食べようね〜」って言うのだ。
叱ることはちゃんと叱ろうって決めたのが二日前。
昨日はなんだか強く怖く言っちゃって子供もたくさん泣くし自分も後悔。
夜に子育ての本読み直して「まず承認」を知る。
今日さっそく実践。承認して、肯定形で落ち着いて伝える。
だったらやっぱり、いいんだ。
こちらもカッカして疲れないし、子供ともしっかり目があって、「わ、聞いてくれた」って
そんな瞬間があったのだもの。子供も私も笑顔でいられるのだもの。
その中で叱ることはきちんと落ち着いて言えばいい。それを何度でも何度でもやればいいんだ。
まず 共感。 まず、承認。
今年の目標。
あと ひとつだけ、これができるようになりたいってことがあるのだけれど
それは本当に本当に本気でできるようになりたいから、(共感もだけど!)
できるようになったらここに書こ〜
今年も健康で 心が平和で 笑顔あふれる一年になりますように。
皆様にとっても 良い一年でありますように。
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