すきなものはすき

2015年 12月28日

そこに 在ってくれるということ



存在が

強い線が

やわらかい 調子が


素朴な 木っ端が



トン と、 ひらけた空間に それらが在ってくれる





ただそれだけで 


光に包まれて 命が肯定されていく






洗われて  つながる

 

 

 

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そば屋さん

2015年 12月26日

先日、スパイラルガーデンにて参加させていただいた
「The art fair +plus -ultra 2015」 ターム1

無事終了いたしました。

足をお運びくださった皆さま、いつも ありがとうございます。


展示をさせていただくたびに あたらしい発見があるなぁ。
制作において、生活において。 心の動きについて。

ひとつひとつ、次につなげていこう。


isetan



昨日、近所の蕎麦屋さんに年越し蕎麦の予約をしにいったら
受付番号が no.108 だった。

・・・ 煩悩!

すごい。。 いやぁ〜 いいんでないの!



煩悩即菩提! 





今年も本当にありがたい年だった。

来年もきっと いい年だ。



みなさまにとっても きっと、いい年でありますように。

 

 

 

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風の 強い日

2015年 12月11日

どしゃ降りの雨が去って、日が照っている。 風が強い。




しみじみと時間をかけて、目をそらさないように味わっていた等身大の自分は
ちゃんと 今もここにいるだろうか。


小さくおびえていた自分自身を、心の奥でちゃんと見つけてあげられたんだ。
ここから一緒に成長していけるのだ。

裸ん坊になったような心持ちで なんだか少し心細いけれど。
この私で いちから歩いていけるということは とても幸福なことで
そして、それだからこそ 本当のやさしさやつよさにまた一歩 近づけるんじゃないかな。

何かで覆い隠して、分かったふりをして 自分の価値観だけで世界を判断するのではなく。


鎧を脱いで、思い込みを外して とらわれていたものを手放して

目の前にあるがまま 理解しようと努めて。
それぞれの声のあるがままに 耳を傾けられるような そんな心を持ち得るように。


自分のことも相手のことも大切にしながら、対話していける勇気を

つながれる勇気を、どうか 持てますように。






脚下照顧 「きゃっかしょうこ」



できることをしていこう。改善できることはしていこう。

ひとつひとつの作業をもっと丁寧にできるようになりたいな。 してみよう。





風が吹いてる。 命が 続いていく。



 

 

 

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一 歩

2015年 11月29日

一週間ほど前に、いつも持ち歩いているノートにメモをした

「等身大の自分を恐れずに」


どこか予兆はあったのだ。

自然体へ向かおうと自分に課していた負荷を少し解いて、そこからでてきたのは自分の本音。
自分でも気づかず溜め込んでいた本音が外側に向かってでてきていた。
外に向けられて強くこだわりを持って反応するものは、たいてい自分の反映で。
つまるところ、自分の いやなところ。

きっとそうなのだろうと頭で分かったつもりでもそれはあくまで上辺の理解なのだもの。

溜まっていたものが外に向けられて出ていって、そのあと 見えてきたものはやっぱり。


ちっぽけでちっぽけで。ちっぽけな自分。




何度これをくり返してきただろう。



やさしくなりたくて、心が大きくなりたくて、つよくありたくて。


がんばってがんばって、でも疲れてしまって
少し休んで見えてきたものはやっぱり、ちっぽけな 自分だった。


それでも ひとすじ。 前とは少し 見え方は違った。


前はそのちいさな自分を認められる器も無かったのだ。
牙を剥いて、自分でも「夜叉」と認識していたコントロールできない自分が高慢に逃げ込んで雲にまいて。

弱さや惨めさに泣くことがあっても、それすら高慢のにおいがあるような気がした。


今回泣いた自分は なんというか、ちゃんと 小さい自分だった気がする。


自分に対して毒を吐いて、泣いて 少しすっきりした自分は ちゃんと小さかった。

それはきっと 大切なことだと想った。




何度もくり返してきたように感じるけれど、一瞬一瞬生きてきたんだ。

きっと、一歩 一歩 前にすすんでいる。


自分がありたいと思う方へ。 心から願い 一生懸命生きているのであれば。







日々を生きよう。そして 彫刻をしていこう。


苦しみも喜びも 心の奥で切望する自分のありたい姿も、希望の種も

彫刻がいつも、教えてくれる。 導いてくれる。


自分でも気づかなかった気持ちに気づかせてくれるんだもの。




この小さな自分で、ここからまた 歩いていこう。

生きて 大切な人に触れて、感謝して  やさしく つよく、あれるように。



この一歩を大切に、この道を 歩いていくことができますように。

 

 

 

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2015年 11月4日

無心にならなくてもいいのかもしれないな。


それはきっと、延々と同じ作業をこなしていく
果てしない作業性をともなう時におとずれる忘我の世界なんだろう。
あるいは禅の精神やマインドフルネスの瞑想などで
意識的にそのような状況になれるよう精進もできるのかもしれない。

できうるならと、それを目標にもしていたのだけれど。
自分と創っているものとが、自他の境界線がなくなってまさに一体になるような
そんな瞬間が訪れやしないかと。

あいかわらず頭の中はあれやらこれやらが らんらんらんらん流れていくしなぁ。


無心だ 自由無碍だとわざわざ主張されているものは、それすらきっと こだわり。
ほんとうのそれは 何も言わない 何も主張しない。
おおらかに からからと笑い、ただ 凛として そこにあるだろう。


その人の瞳がくもりなく、作品を手に キラキラとしているなら
それがそのまま そのものの良さにつながるかな。

こんなことを考えたり想ったりそんなことすらすべて手放せた時に しっかりとつながっていくかな。

感情豊かに この身体と心でいろんなことを感じとって自分なりに。
それが彫刻というかたちでもって現れてくれるのなら、そこに無心を見出そうとしなくたっていい。


自分が心地良いと想うこと
居心地のいい くつろげる場所
自然と大きく息ができるところ

この手の中から生まれてきてくれるものたちが そんな場所からいらしてきてくれるように。




自分がやってみて心地よいものは続けていけばいい。
なんだかなと思うものも、気になるなら自分からまたひらいてみればいい。
やっぱりやっぱりなんだかなだって なんだっていい。

そんなひとつひとつをジャッジなんてせずに やさしく いいこいいこしてあげればいい。


なにかひとつ また 自分を縛っていたものを手放して



今日の空気は とってもとってもなんだか秋だなぁ

 

 

 

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あたたかくしてたもれ

2015年 11月1日

かぜっぴきにて候。

よわった頭と体にてさふらえども ポカ〜ン にてあらず


もっと ぽか〜ん とできたらもっとつながれるだろうに。



ここしばらく感じていることは ずいぶん楽になったなぁということ。
あれもこれもを無理してでもがんばることをやめて。
好きなものは好きでいいし、なんだかなぁということもそれでいいのだ。

ただ、想うのは 好きなことは好きで もっと一生懸命やりましょうってこと。

自分の気持ちがよりクリアに見えてきたのなら、
自分の中に循環しているエネルギーをば、そこに注いでいかん。



ただいまは かぜっぴきにてよわりけり。

からださん、ごめんなさいね。ありがとう。

 

 

 

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自然体 へ

2015年 9月27日

この何年間か、意識的に自分自身を変えていこうと努力していた。


どちらかというと批判的で、悲しみや怒りにとらわれがちだったから。
自分の中であまりにもかたくなに凝り固まっていた思い込みやとらわれと
ひとつひとつ向き合っていって。

体をほぐして、心を解いて。

いやなことがある時は、自分が今までまいてきた種を刈り取らせてもらってるんだと、
感謝に変えられるように。
物事のよいところを捉えるように、よいイメージを抱くように、
よいことを考えてから眠りにつくように。
毎日欠かさず体操をして、ストレッチをして。
心と体の健康に良さそうなものがあったら取り入れてみたりして。

続いたものも続かなかったものも。

それらは確かに私の呼吸を深くしてくれたし、
体のこりも 心のこりも 以前と比べたらかなり ほぐれてくれたと思う。
ありがとうと想えるあたたかさも、この世界に在れるということの片鱗も。

習慣のように自然になっていることもあるし、意識していないとできないものもある。


ただ、がんばってがんばって。 無理してでもがんばって。


なんだかどこかに 今の自然体の私をなおざりに、置いてきてしまってないか。



あるがままで在れるようにと、そのためにがんばってきたようで実は、
自分のなかにある自然を大切にできていなかったのかな。



がんばって身につけてきたことはそれはとても尊くて。
それと同時に、今の自分の自然体というものも、素直に受けとって 大切にしていきたい。

自分なりにがんばってがんばって、そうしてはじめて 自然体ってなんだろうって思えたんだもの。


自然体を大切にするということは、自分の好きに我を通していくこととは違うはず。


マイナスばかり見るでも無く、プラスの方にばかり目を向けるでも無く、
どちらもあると心得た上で 自然体で在れるように。

もっとひらかれた場所から 平に 心をひらいていけるように。



泥の中からも清らかな花を咲かせる蓮の花。
それは決して泥から切り離されているわけではなく、根っこでつながってるんだ。
それをやわらかな心で受け入れて認めていこう。

それが、きれいな花を咲かせられるための また 一歩になるかな。



ひとつとして同じ花がないように

それぞれの土の中で 大きな空の下で、風や太陽に愛されて


それぞれの命がきれいな花を咲かせ、風になびくがままにきらきらと


たったひとつのその命を 輝かすことができますように

 

 

 

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つ む ぐ

2015年 9月19日

生きてきたんだ。 そう思った。


この毎日

このいのちで



ここにある光に気づかずに、暗闇だと 消え入りそうになっても。

こうありたいと描きながら 未熟なまま、今ここを紡ぎつづけて。




ここにある光 その命 そのものに光が帯びるように

生きてきた一瞬一瞬が その命を輝かしてくれるすべてであるように



この一呼吸、その ささやかな想いにも、大切に気づいてあげられますように。

 

 

 

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8月

2015年 8月23日

泣いたり笑ったりできるのは とてもいいものだと、しみじみしている


なんだか最近 琴線がもろいのだろうか。ホルモンかしら。

人間は不思議だなぁ。


静かでひらいていて、大きな心に憧れながらも、いろんなことに揺られ、反応しながら
たまには大声で泣いたり笑ったり、そんなこともとても愛しいのだもの。

ひとつ、大切な制作がかたちになったからかしらん。



遠いところにいってしまった命を想って会いたくなったり、
あたらしく生まれてきた命の力いっぱいのエネルギーに触れる機会があったり。

命が大きなわっかの中でめぐりめぐってここにあるような、大きな因果の中で
ほんのすこし めまいを起こしてるような、そんな気分。


自分がしているささいなしぐさも、ちょっとしたくせや言葉も、かつて生きていてくれた
たくさんの命のおかげなんだなぁと、そんなことを改めて想った8月。




青い空は青いままで。

 

 

 

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どっさり

2015年 8月12日

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しばらくほったらかしだったから どっさりさん



バジルだけは発音よく 「バズィゥル」

 

 

 

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ひらく

2015年 6月26日

自も他も 本来、分けられるものではないんだろう

分けられないから ひとつなんだって、それまた概念でくくることもしなくていい


一切の判断やコントロール、恐れを手放して 己を心地よく ただただひらいていくことができたなら



それはただ、あるようにあるのだろう
あるようにある世界のなかに 在れるということがあるのだろう



己の愚かさをもう認めきったところから見えてくることもあるだろう
もともと限りなく広大無辺に自由ないのちを発見して、そこから見えてくることもあるだろう

なにが正解でもないしどれが一番いい方法というのでもない。
それぞれのいのちに ことが起こり、今 何を観じるか。


生きていって、体験していって、なにかに気づいて。
修正したりあがいたりして生きていくなかで。

自も他もなく どこまでも広々とした空間をいつか、思い出せるだろうか


おおきく ひらいて あけわたして  感謝して生きる  そんな風に生きられたら

あたたかく ユーモアを持って、今ここにいられたら



どんな自分がここにいようと その自分と一番の友だちになって。

その私で、ひらいていこう。


あるがままの世界を その あるように受け、広々とした空にあけわたして 笑うんだ。

 

 

 

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こまつな

2015年 6月9日

ほんのちょっと 家庭菜園をしています。

あたたかな春夏だけ。そして去年の夏から。
なので今は2度目の夏に向けて、小さな苗がお庭で育ってくれている。


今年は小松菜の種もまいてみたのだった。

双葉がでたら密集しているところを間引くのだけれど、その双葉だって食べられちゃう。
ひょいひょい すぅ〜っと簡単にとれたので、
「こりゃ食べたい時にほんの少しずついただいて、そんで自然に間引く作業にしていこう」と
そう思って ひややっこの上にちょんっとのせるだけいただいた。

いつものひややっこが なんだかおしゃれになりました。


どの段階であろうと それぞれの味わいがあるんだろうな。
葉っぱのまま大きくなるものも、実をつけていくものも。

虫と戦ったり、お手伝いしてもらったりしながら、必要なだけ少し 手入れをさせてもらって。



小松菜のおひたしが好き。
だって らくちんほいでしかもおいしいから。

太陽の光を浴びて雨土の力を受けて、天と地の間で ゆっくり育つ

そんないのちをいただけるのだ


さっき小松菜の花言葉を調べてみたら 「 快活な愛 ・ 小さな幸せ 」だった。

すてきだなぁ〜  こまつな

 

 

 

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こころざし

2015年 5月18日

あまりにも有名な日本の唱歌「ふるさと」の歌詞にある
「こころざしをはたして いつの日にか帰らん」


夜空の下でこの歌を歌う機会があった時に ふと

「あぁ、いつの日か帰るところはこの空の向こうで、志を果たしに この地上に生まれてきたんだ」と 

なんだか雷にうたれるようにそんな想いが体中を巡って 涙があふれた事がある。

もう10年も前のこと。


この地上でも大切なふるさとがあって そしてあの時に感じた想いも この命のなかに 今もある。


志はきっと 大きなものだけではなく、本当にささいな小さな事もこころざし。
たとえば、となりにいてくれる大切な人に、心からのありがとうを伝えられるような瞬間を
この命の間に むかえられるような事も、本当に大切な志としてこの命に抱いて生まれてきてるんだと

そんな事を思ってきたし、今も そう感じてる。


たくさん言葉を交わさなくても、なんだか同じ志を抱いているように感じる人と出会える事も
このいのちを生きる中で とても幸せなことのひとつ。
たとえそれが思い込みであろうと、
あの心があったかくなる感じは、今を生きる力になるし、前にすすむ力になる。


あれよという間に過ぎていく日々の中で、たまには自分の心と向き合って
こころざしを静かに感じて そいでもって今日も、

小さな事でいいから

心をこめて、できる事をしよう。

 

 

 

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ダブルでおひらき

2015年 5月11日

isetan

伊勢丹新宿にて開催されたグループ展
「 VIEW OF NATURAL ART 〜飾りたい工芸〜 」 

無事終了いたしました。

たくさんの人に見ていただく事ができました。

展示に参加できる事で、自分にとっての「つくる」ことの 次につながる発見があって。
それと同時に、一緒に参加させていただく作家さんたちの「つくる」を
とても近い場所で見させていただく事ができる機会でもあるんだなぁと改めて思いました。

「一緒に参加する」という感覚からうまれる、同じ つくる者として 近くに在れる貴重な機会。


今回もとてもうれしい出会いがいくつもありました。

ありがとうございました!




そしてそして、ちょうど1年ほど前に納品した作品たちも、そろそろおひらき。

nibariki

三鷹の森ジブリ美術館 企画展示 2014-2015 「クルミわり人形とネズミの王さま」展にて
ジブリ美術館だけで上映されている短編映画「パン種とタマゴ姫」のキャラクターを
木彫で19体つくらせていただき、1年間 展示の中でご一緒させていただきました。

ジブリがとっても好きなので、もうもう 幸せなお仕事でした。


駿さんにはお会いできなかったけれど、とてもとてもうれしい伝言をいただく事ができました。
こんな日が来るなんて、ほんとうに不思議。ほんとうによかったなぁ。

ほんとにほんとに ありがとうございます。

 

 

 

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初 心

2015年 4月29日

初心に戻りたかったら ブルーハーツ聴こう



大学にはいって、道具を創るところからはじめて。

創るってことの全部が新鮮で、ひとりで終電まで残ったりして。
産みの苦しみもうまくいかないこともひっくるめて なんだか活き活きしてたもの

彼らの歌を聴いたら なんだかそんな頃のキラキラした初心ってものが
また 新たに沸き出してくる感じがする。

裸足でアトリエのひんやりした床が気持ちよくて、
ブルーハーツかけて、粘土を何キロも菊練りして、汗かいて ポカリ飲んで。


変わらない気持ちがある事も、あの空気を思い出せる事も
変わっていく事のできたところも、まだまだそのまんまの自分も

あの頃と同じように空を見上げて、風にのって 歌でも歌って


初心を抱いて これからも創っていこ〜う

 

 

 

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グループ展 おひらき

2015年 4月20日

enblog

六本木ヒルズ A/Dギャラリーにて開催されたグループ展
「 Q u e s t 」 selected by Masaharu Makuuchi / ex-chamber museum

無事終了いたしました。

足を運んでくださったみなさま、気にかけてくださったみなさま
ありがとうございました!

これからも手を動かしていきますので、なにとぞよろしくお願いいたします。



久々に想った事。

心地よい大きさの空間で、ふぅっと空気が変わるような
そんな個展をしてみたいなぁ、ということ。


ただただ、今できる事をしていく中で、自然と湧き出てくる気持ちに気づいて
大切にしてあげられたらと想う。

 

 

 

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景 色

2015年 4月2日

大学で東京に出てくるまで 生まれ育ったのは、瀬戸内の 海の目の前。


海と島と 空と

ひろがる凪  光


その景色は住んでいる時も、離れてからもずっと 大切な景色



今日、それを改めて 静かに感じられるような そんな絵画に出会って。

それは瀬戸内の景色ではないのだけれど、
こちらの心の景色をも すっと受けとめてくれるような そんな気がした。


とてもとても懐かしい場所。
そんなふるさとの景色をこのいのちに抱いていられる事が、とてもうれしいと思った。


時は一瞬一瞬過ぎていって、それも真実。
心の中で抱いていられる景色も気持ちも、まったく同じではいられなくても
この今、過去も未来も大切にしながら この日々を暮らしていくことができるんだもの。

なんだかそんなことを、静かに しみこむように感じさせてくれた 





明日から展示がはじまる。

自分の好きな事をさせてもらえて 手の中から生まれてくる作品たちと出会えて。
そしてその作品がまた、人や場との出会いを運んでくれる。

本当に ありがたいなぁと想う。


この展示がどうか 素敵なものとなりますように。

 

 

 

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ままに

2015年 3月26日

ちょっと前に思った事

姿勢をよくして過ごしたくて 「あの仏像のように」とかって
自分の理想の姿勢を思い浮かべたりしてたのです

あるときふっと 「あいだになにもはさまない」と 思ったのでありまして


私は私のままで姿勢よくすればいいんだなって思うと なんだか違う心持ち

私は私で生きているけど 本当のところ まだまだ近づけていないんだなぁ
とりあえず今は その私のままに ありがとう



あたたかくなってきたし 活動的に!

活き活き動く  春に舞う 

 

 

 

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球 根

2015年 1月29日

昨日、上野公園を歩いていて夜風に揺れる木を見て思った。

「そこに在るだけでその命をまっとうしてる」


自分の思い込みもイメージも予想も もうどっかに放り投げて
いのちといのちで向き合えばいいんだろう

だから自分がまず、その 今ここにある ただ、そのいのちでいられる事

そのいのちであれる事に全力でのぞむこと それが自然な状態であれる時まで


「あるがままでいい」という実感は それらの先に、それぞれが体感するものだろう。
禅でいえば不立文字。ことばで伝えられるものではなく、
各々が体感していく事でしか知り得ない感覚だろう。


今に集中する事は、過去も未来も内包するすべてを今抱きしめられる事だとも思う。

そんな時はなんだかよく分からないけれど なんだか胸が高まって
すべてが今に集約されて 愛しさがあふれて
ここにあるこのいのちが とってもうれしがってる事は 確かな感触としてあって。
そして同時に、そこはとてもとても 静かで。

それは今までなにかの瞬間おとずれては去ってしまうものだったけれど

少しずつ少しずつ、地に足がついていくように。
ここではないどこかではなく、この場所から。


それぞれのそのいのちの中に答えはすでにあるんだろう。


すべてのいのちの中の それらにつながるひとつの いのちとして。

それぞれの輝く光がそのいのちに満ち、調和の中で よろこびに包まれますように。

 

 

 

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水で福

2015年 1月25日

最近読んだ本で頭がパンパンになっていたので床を水拭き。

家中の窓を開けて空気をいれかえ。

本が大好き、だけれど。。体も動かさないとな。


体の調子だったり、心の調子だったり、命全体で感じる調子だったり。

なんだか本当にすごい計り知れないものとつながって生かされてるんだろうな。


こう在りたいと想う気持ちも強く持ちすぎると「今ここ」にいられないんだ。
自分でも気づかないうちに頭でっかちになって。

大切にしたいのは、いまここで側にいる人が幸せでいてくれる事。
その側にいられることに感謝して生きていける事。


水ぶきしてお掃除しておうちにありがとうって言って。
パンパンになるまで思考した頭をねぎらって、体を気持ちよく動かして。

たびたびの発見も少しずつ質が変わっていく事が、うれしい。

 

 

 

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新 年

2015年 1月5日

あけましておめでとうございます

健やかに 幸多い年でありますよう


今年の目標 もっと体力つける! 持久力! 

そのときその時が節目。
いまここで 背筋のばして肩の力抜いて。

楽しんでやってこ〜

 

 

 

 

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